こちらの感想とかは、特に内容を決めずに、徒然なるままに書くものです。
思いついたこと、感じたこと、聞いたこと、想像したこと、などなどを書いていきます。

童話「ミミコがさんぽにでかけたら」を読みました。

ある縁があって、「ミミコがさんぽにでかけたら」という童話を読みました。
とてもインパクトの強い、心を揺さぶられる童話でした。
ひと言で言うと、町の中で猫がたこを追いかけるという荒唐無稽な話なのですが、一度読むといつまでも残像が心に焼き付いたままになる何とも不思議な童話でした。

まず、絵に“力”があります。色彩とシルエットが一体となった、うねるような躍動感があって、猫とたこが童話の冊子の中で自由に動き回るのです。 絵の一枚一枚を額縁に入れて、部屋のあちらこちらに飾っておきたいと思わせる、“絵の力”を感じさせる童話です。

そしてまた、猫とたこが町中で出会うというあり得ない設定が、時空を歪めながらも不思議な現実感を醸し出しています。 町のひとたちは、猫とたこにまったく気を留めません。その存在に気づいてもいないようです。 ありふれた町の中で、時空の歪んだ不思議なパラレルワールドが展開しているのです。私は、その不思議な世界に、すっぽりと足を踏み入れてしまいました。

最後にひとつ。主人公は猫とたこなのでしょうが、実は、町の人々がとても生き生きと描かれています。 猫とたこの無邪気な追いかけっこが、雑多な人間世界の日常生活をとても愛情深く際立たせているのです。
私は、この童話の作者のことは勿論まったく存じ上げませんが、きっと、とても心の清い方なのだろうと思いました。


ラジオドラマ「ねぷたの来ない夏に」を聴いて

ラジオドラマを聴いたのは、何十年ぶりでしょうか。
縁あって、「ねぷたの来ない夏に」というラジオドラマを聴きました。
簡単に言うと、小学生の姉弟が二人だけでねぷた祭りに来ていたのですが、弟が少しふざけすぎたせいで、姉が脚に障害を負ってしまい、それが原因で家族の関係がぎくしゃくしてしまうという話です。
両親は、子供たちだけでねぷた祭りに行かせたことで自分たちを責め、弟も責任を感じて好きだったサッカーをやめてしまいます。
そして、姉は自分を腫れもの扱いする家族に対して、逆に孤独感をつのらせます。
姉は、何かを変えたいと思い、あえて自分が事故にあった弘前の大学へ行きますが、運の悪いことに入学した年にコロナ禍に襲われます。

一番近い存在であるはずの家族が、一番遠い存在になってしまったところから、このラジオドラマは始まります。
この傷心で孤独な姉弟のもとに、弘前のもうひと組の兄妹が近づきます。
兄は、昨年、交通事故死したのですが、熱中症で倒れた主人公の姉の夢の中に現れます。
妹のほうは、姉が熱中症で倒れたと聞いて慌てて駆け付けた主人公の弟のもとに看護士として現れます。
兄は、主人公の姉を無骨に励まし、妹は主人公の弟を優しく受け止めます。
交錯する姉弟と兄妹が、臆病風に吹かれていたそれぞれの心を解きほぐし、止まっていた時間を動かし始めます。

人間関係は難しいものですが、特に身近になればなるほど難しいものだと思います。
私も自分の中学高校時代のことを振り返ってみて思ったのですが、極論、世界平和を考えたり人類を愛するほうが簡単で、家族と向き合い家族と仲良くするのが一番難しいのかもしれません。

このドラマの中で、「ひとりぽっちが寂しいのは、本当はひとりぽっちじゃないのを知ってるから」という台詞がありました。
この台詞自体はドラマの中盤あたりにある台詞なのですが、私にとってはこの台詞がキーメッセージとして最後まで響いてました。
逆に、台詞などの形で顕在的には示されていないのですが、「勇気」を持つことの難しさと大切さも、メッセージとして伝わってきました。
コロナ禍でねぷた祭りを開催できなかった弘前で、小さなふたつの家族が交錯するとてもいいラジオドラマでした。


小説『輪廻転生スーツ』


「やった!!ついに完成したぞ!!輪廻転生スーツ!!」
科学者サトシは、自宅の研究室で叫んだ。
サトシは、身体中をぴったり包み込むような真っ黒で薄地のスーツを両手にかかげ、満足そうに眼を細めた。
『輪廻転生スーツ』と名付けたそのスーツは、頭部のキャップも含め全身に目に見えないセンサーがはりめぐらされ、VRゴーグルもついていた。
これは、サトシが理想とする「自然と共生する社会」を実現するために、サトシが長年をかけて開発したスーツだ。
このスーツは、一言で言うと、様々な動植物から見た世界を自由に体験できるスーツだ。
このスーツを着て脳波で指示を送ると、人間としての自分の五感を、自分の好きな動植物の感覚に置き換えて、その動植物になりきることができるのだ。
サトシは昔から動物が好きで、今もウサギと亀と熱帯魚を飼っている。また、サトシの妻は園芸好きで、部屋には様々な植物が飾られていた。
自然や環境破壊が進む世の中で、サトシは、そういう動植物の視点に立つことができるマシンを開発すれば、人間はもっと自然に優しくなれるのではと考えたのだ。
そして、「自然と共生する社会」は、きっと人間にも優しい社会になるに違いないという信念もあった。
このスーツには数万種類の動植物を選べるオプションがあるのだが、「輪廻転生コース」という特別なオプションが用意されていた。
それは、ありとあらゆる動植物を、ランダムに次から次へと体験するコースだ。このコースを体験することで、ひとは仏教で言う“輪廻転生”を手軽に実体験することができる。
そして、このコースを体験することで、ひとは仏陀の言う“悟り”を疑似体験することができ、自然にも人にも優しい人間になれるはずだとサトシは考えたのだ。

「よし、まずウサギの世界を体験してみよう。」
完成した『輪廻転生スーツ』を、サトシはまず自分が試してみることにした。
天才科学者であるサトシは、自分の技術に絶対の自信を持っていた。だから、失敗はあり得ない。
ただ、実際に動植物の体験をすることは、どういうことになるのかまったく想像もつかないだけに、ちょっとした恐怖心があった。
「怖れていては未来を拓くことはできない。よし、やるぞ。」
サトシは覚悟を決めた。いそいそとスーツを装着し、脳波で指示を出した。
次の瞬間、サトシはウサギになった。もちろん見た目の変化はなく、サトシの感覚がすべてウサギのものに置き換わったのだ。
「うわわわわわわ・・!」
サトシはとてつもなく動揺した。
色彩のないモノクロの世界が眼前に広がり、もともと殺風景だったサトシの研究室がさらに殺風景なものに見えた。目の前にあった机や椅子は、机でも椅子でもなくなった。
そして、それまで聞こえていなかった別室での妻の物音がリアルに聞こえてくる。食べ物の匀いもかすかに漂ってくる。
その匀いに惹かれて足を踏み出そうとした、その瞬間だった。
サトシは、背後に何者かの狂暴で危険な気配を感じ、身体中に戦慄が走った。
恐怖に耐えられなくなったサトシは、脳波で指示を出し、急いで自分を人間の感覚に戻した。

「ふう。なんだ、そういうことか・・。」
サトシは深い息を吐いた。
サトシが危険を感じた気配は、飼っている亀のものだった。危険でも何でもないのだが、被捕食動物であるウサギの危機察知力が、そういう感じ方をサトシにさせたのだろう。
とにかく、これまでの常識がすべて覆る体験だった。サトシは自分の研究成果に自ら驚嘆した。
それからサトシは、亀になったり熱帯魚になったり植物になったり、片端から様々な動植物の体験をしてみた。
一種の自然体験ツアーだが、ただ単に自然を観るのではなく、自然そのもになりきるという究極の体験ツアーだ。それも今のところ、研究室の中にこもったままで。
サトシは最後に、「輪廻転生コース」を試してみた。これは強烈な体験だった。
深海魚や蚊やミカン、微生物にまでなった。めくるめく体験に、サトシはしばらく没入していた。
もう人間に戻らなくてもいいかと思うような、深いカタルシスを覚える体験だった。

どれくらいの時間がたっただろうか。
『輪廻転生スーツ』のバッテリーが切れ、サトシは人間の感覚に戻った。
「ふう。これはすごい。」
サトシはまた、深い息を吐いた。
『輪廻転生スーツ』の底知れぬ魅力にサトシは驚嘆した。
「これは絶対に売れる。世界が変わるぞ。」
サトシは、自分がスティーブジョブズ以上の存在になることを確信した。

サトシは、『輪廻転生スーツ』をAmazon、アリババ、楽天市場、ZOZOタウンなどで一斉に売り出した。
すると、サトシの予想通り、輪廻転生スーツは、世界中で空前絶後の大ヒットとなった。
連日、世界中のニュースで取り上げられ、高額商品であるにも関わらず、世界人口の半数以上が購入するに至った。
サトシは素直に嬉しかった。自分がミリオネラになれたというだけでなく、これで「自然と共生する社会」「自然にもひとにも優しい社会」を実現できるに違いないと思ったからだ。
実際、SNS上でも、「世界観が変わった」「動物の気持ちがわかった」などの声が多く、人間中心の世界観に変革を起こすムーブメントが起きつつあった。

ただ、『輪廻転生スーツ』を開発し様々な体験をする中で、ひとつだけ、本当にひとつだけ、サトシには小さな失望があった。
サトシは、自分が飼っているウサギは、自分のことを好きだと思っていた。実際、よくなついていたし、サトシによく甘えていた。
だが、『輪廻転生スーツ』でウサギの立場になってわかったのは、ウサギにとってサトシとは、どうやら単なる“餌をくれる何ものか”であり、“餌をせがむ対象”にしか過ぎないらしいということだ。
ウサギのような哺乳類ですらそうなので、亀や観葉植物に至っては、サトシに対して何の感情もない。
動物や植物と会話した気になっているのは、あまりに人間側の思い入れが強すぎるのだ。
そもそも、ほとんどの動物には“自分”という意識がない。したがって、サトシと言う“他者”という認識も曖昧なのだ。
冷静に動物の知能レベルを考えれば、“まあ、そんなものか”とは思うが、サトシにはそれが少し寂しかった。

サトシの輪廻転生スーツが世界的大ヒットとなって、ちょうど一年が過ぎた頃だった。
世の中の風向きが少しずつ変わり始めた。
「世界観の大変革」というムーブメントが、急速にしぼみ始めたのだ。
皆が、急に我に返り始めたと言っていい。
サトシが抱いた小さな失望、“まあ、そんなものか”という認識がさざ波にように世界にも広がり始めたのだ。
『輪廻転生スーツ』という空前絶後の技術革新が巻き起こした興奮状態が過ぎ去り、人々の意識は徐々に元のさやに収まり始めた。
『輪廻転生スーツ』の売れ行きも急速に衰え、一部の動植物学者のための研究ツール、学校の教育ツール、という所に落ち着き始めた。

サトシは絶望した。
ミリオネラとなり妻も喜んでくれたが、サトシの理想とする「自然と共生する社会」「自然にもひとにも優しい社会」を実現することはできなかった。
むしろ、“そんなものか”という自然認識が、かつてよりも自然に対する優しさや思いやりを失わせているような気さえする。
自然の中に神々を見ようとするアニミズムとは正反対の、むしろ唯物論的な方向に人間を覚醒させてしまったのかもしれない。
「一体、何が間違っていたのだろう。」
サトシは絶望し、悲嘆した。
人生のすべてをかけていた研究活動もやめてしまい、ただ無為な時間だけが過ぎていった。

「おまえ、どうせ俺のことなんて何とも思ってないんだろう。」
ある日、サトシはそう言って、自分が飼っているウサギを眺めていた。
ウサギは、それはそうだろうといった感じで、サトシを無視して餌の草を食べ続けている。
むしゃむしゃもぐもぐという小さな咀嚼音だけが聞こえてくる。
その咀嚼音を聞きながらサトシがいつものように放心していたその時だった。
突然、何かがサトシの中でひらめいた。
「待てよ。もしかしたら・・」
サトシはしばらく考え込んだ後、おもむろに机に向かった。PCやら何やらをセットし、実に久方ぶりに設計作業に取りかかり始めた。
『ネオ輪廻転生スーツ』の設計を開始したのだ。『輪廻転生スーツ』の改良版だ。
「そうだ、そうに違いない。」
サトシが思い至ったのは、『輪廻転生スーツ』の不完全性だった。
『輪廻転生スーツ』は、動植物になりきれるというのが謳い文句だったが、それは実は不完全なものだった。
というのは、動植物になりきると言いながら、実際には人間としての意識、アイデンティティは保持したままだったからだ。それでは、本当の意味で“なりきっている”とは言えない。
人間の意識のまま、自分という意識のままで、動植物の感覚を通して世界を見ているに過ぎないからだ。
サトシは、人間としての意識、自分というアイデンティティを遮断するアルゴリズムを『ネオ輪廻転生スーツ』に仕込むことにした。それも秘密裡に。
なぜなら、人間としての意識、自分というアイデンティティを遮断するということは、今の社会のルール上、とても認められそうにはないからだ。
狂暴な動物になった時、急にひとを襲うということもあるだろうし、鳥になった時には高いビルから飛び降りてしまうかもしれない。
サトシがやろうとしていることは危険極まりない行為だった。
しかし、ひとが輪廻転生を本当の意味で経験すれば、人は、“悟り”を得て、神に近い存在になれるはずだ。それでこそ、自分の理想とする社会が実現できるのだ。
サトシは、これまで蓄財した自分の財産で、『ネオ輪廻転生スーツ』を世界中に無料配布するつもりだった。そして、ある程度、普及したところで、サトシの方でアイデンティティを遮断するアルゴリズムを一気に作動させるのだ。
サトシは、自分の構想に、初めて『輪廻転生スーツ』を開発した時以上の興奮を覚えた。今度こそ、自分が社会を変えるのだ。

サトシは天才科学者としての誇りと自信を取り戻し、研究に打ち込み始めた。

「ポンヌフの恋人」???


ある人にすすめられて「ポンヌフの恋人」という映画を観ました。
私は知らなかったのですが、大ヒットしたフランス映画らしいです。
正直、フランス映画は何だかわかりづらくて、どちらかと言うと私は苦手です。
でも、この「ポンヌフの恋人」はとてもおもしろかったです。
フランス映画らしく、愛をテーマにした複雑な男女関係を描いた映画で、やはりわかりやすいとは言えません。
でも、この映画は面白かったです。
なんでだろう??
男性の心理はわかる気はしたけど、女性の心理はよくわかりませんでした。
でも、なんかおもしろかったです。

山田くんのおなかがよわい話1


山田くんは幼い頃からおなかがよわかった。
彼は、ほぼ毎日、おなかをくだしている。それが当たり前の人生をずっと過ごしてきた。
トイレに辿り着くまで死ぬ気でがまんするという行為は、それこそ何万回と経験してきた。
そんな山田くんには、トイレ3原則という戒めがあり、彼と同じようにおなかが弱い息子たちにもよく言い聞かせている。
それはこんな内容だ。
①トイレに行きたいと思ったらすぐ行け。電車に乗ってて、もう一駅がまんしようとか絶対思うな。その判断は死を招く。
②トイレを見つけても絶対に油断するな。人が入ってたり並んでいるかもしれない。
③トイレに入っても油断するな。その気のゆるみが危険。座って10秒がまんするつもりでいろ。
以上の簡単な内容だが、これは鉄則だそうだ。
私も参考にさせてもらっている。

山田くんのおなかがよわい話2


山田くんが、社会人になって初めてウンコを失敗した話。
営業で車を運転していた時、急におなかが痛くなってきた。
これはマズイと思ってトイレのありそうな所を探すが全然見つからない。
脂汗を流しながら必死にがまんをして車を運転していると、天の恵みでガソリンスタンドが見つかった。
神に感謝!!
車をガソリンスタンドに止め、トイレの場所を即座に確認。
「現金、満タンで。」と努めて冷静に店員に告げ、トイレに向かおうとしたその時。
突然、アルバイトの女の子が「アンケートお願いできますか?」と山田くんの前を遮った。
その瞬間、ぷりっ。
「あ~・・」
山田くんの心の声が響く。

隣の部屋がごみ屋敷だった


数年前にマンションを買った。
狭いながらも横浜駅やみなとみらいに近く、色々と便利で家族全員、気に入っていた。
ところが、初めての夏を迎えて知った衝撃の事実。実は隣の部屋がごみ屋敷で、夏が近づくと大量のゴキブリを発生させていたのだ。
マンションの内見をし購入したのが秋ごろだったので、まったく気づかなかった。
マンションの廊下にはしょっちゅうゴキブリが走り回り、ごみ屋敷の部屋の窓にはいつも数匹のゴキブリが張り付いていた。
隣の住人に抗議しようとしても、ノックをしても居留守を使い、抗議文書の投函や貼り紙をしても無反応。
弁護士に相談をしても、専門業者をこちらが雇って一度部屋を清掃し、その状態を維持する念書をとるくらいしか対処法はないとのこと。
そんなの、一般市民としては到底、納得のいく対処法ではない。
仕方ないので、ゴキブリホイホイやゴキブリ用の毒の入った餌を買ってきてマンションの廊下に配置、隣の部屋のベランダにも投げ込んだ。
それらが功を奏してかなり減りはしたが、それでもたまに発生する。
こちらもだんだん慣れてきて、ゴキブリを見ても何ら慌てることなく、冷静にスプレーで対処するようになってしまったのが悲しい。
こんなことを考えると、特にこれからの時代は賃貸派の方が正しいのかもしれない・・・。

次回予定

次回予定


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