《会社の仕事》

400字小説 公開:2026-1-4 作者:一本吉夫

朝九時十分。

エレベーターの中で、S氏は課長の背中だけを見ていた。声をかける気はなかった。課長も同じらしい。沈黙は、ここでは最も安全な会話だった。

席に着くと、S氏はメールを一通送る。「本日の確認事項、箇条書きでまとめました」。それ以上も、それ以下も書かない。

課長からの返信は三分後。「了解」。たった二文字。だが、それで十分だった。

課長は昭和型のめんどうくさい性格の持ち主だった。以前のS氏は、そんな課長と分かり合おうとしていた。

雑談を振り、意図を説明し、表情を読もうとした。そのたびに、疲れだけが残った。

ある日、ある先輩に「課長の性格、何とかならないですかね。」と聞いてみた。

すると、その先輩は言った。

「人は変えられないけど、仕事の置き場所は変えられるよ」

それからS氏は、感情を脇に寄せ、仕事だけを机の中央に置いた。締切、成果物、確認ポイント。それだけを共有する。

夕方、課長がS氏のそばで立ち止まり、こう言った。

「今日は回ってたな」

S氏は軽くうなずいた。分かり合えなくても、歯車は回る。

会社は、今日も静かに動いていた。